A Very Violent 'Passion'  Part 4

 

《 個人的ヴィジョン》

 メル・ギブソンは既に何か月も前の記者会見の時点で、ニコス・カザンタキスの小説をもとにしたスコ-セシ監督のやはり論争を呼んだ「最後の誘惑」(1988年)と自分の映画が比較されることにほとほとうんざりしていた。

 

「とにかく過去の作品とは全く異なったアプローチをとった。だいたいなんで僕が既にさんざん語り尽くされたテーマをやりたいと思ったのか知って欲しいね。それを置いといても、彼のあの映画はちゃんと見てないんだ。だからどこがどう違うのか言えない」実は当時スコセッシ監督に主役をオファーされたんだが、それについて詳しく話すつもりはないだろう。

 

「僕のはごく個人的な脚本なんだ。でもこのストーリーに沿ってできるだけ本物に近づけたいと試している。現実的な手法を取っているから過去の多くの聖書映画の罠に捕まると悩むこともない。もっとはっきり言おうか。それらの持ってる古臭い、ちょっと間違うと滑稽なほどの慣習やおかしな意匠、仰々しい音楽....それらとは縁がないことは間違いない」

 

だが前出のマルティンに言わせるとそれらの過去の聖書劇は今も吸引力を失ってないことは事実だ。

「観客はそれらの中の最良の物にはそれ相応に反応する。なぜなら大いなる信念と真心を持って作られたことに変わりはない。誰が古代の剣闘士の映画が現代の自分らに関連があるといちいち考えるだろう。単純に素晴らしい娯楽映画なんだ。話の運び方も悪くなかった。今だって人々はイースターの日曜日には"十戒"(1956) 見に出かける。もうかれこれ50年前の映画にも関わらず。それがいかにもセシル・B・デミル流の古臭い仰々しい映画であることはわかっていても」

「もちろん誰でもあらゆる視点でイエスについての映画を作る余地はある。例えば最後の日々を描くだけ、あるいは伝道の日々のみとか。はっきりしてる事は、メルは自分がこの映画で何をしたいかその目的の重要性をちゃんと知ってるということだ」

 

マルティンの考察が続く。

「メルの仕事は疑いもなく、とてつもない情熱と苦労の賜物になるだろう。全身全霊をこれに捧げている監督の深い思い入れが伝わってもくるだろう。

本来は大きな興業収入が見込めるだろうにその可能性を無視してまで、あるいは単に自己満足に終わるかもしれないリスクをかけてまで、なぜアラム語なぞを使って作っているか不思議がるすべての人への、これこそが答えなんだ。私自身はこれを見ることを非常に楽しみにしている」

メルは長い間、主にアクションがフィーチャーされた映画のヒーロー、はたまたロマンチックな主役を数多く演じたことで有名になったが、最近作「サイン」での牧師役で、観客の潜在意識下に彼の信仰的な側面を埋め込み受け入れる心構えをさせた。

カトリックの信仰の中で育ち、自分では伝統主義者だと思っていてその証拠にいまだにラテン語で行われるミサを好む。現にThe Passionのセットにもラテン語のミサを取り持つことができる神父を呼び、告解や懺悔を行いたい人には誰でも応じるように依頼し受け入れられた。

 

 

「物心ついた時に知っていたイエスの受難の話は、今から思うとどれもこれも当たり障りのない検閲済みの童話って感じだった」とメルは振り返る。

 

「僕から見たらまるっきりおとぎ話みたいだった。その後15歳頃から35歳までは 神は信じてたが実際的な信仰生活からは遠のいていたし、あまり深く考えなかったな。だって若かったしそんなことよりもっと他のことにのめりこんでたからね。 優先順位があったんだ。

教会に行くよりもっと面白いことがいっぱいあったから。若い頃はかなりのワルガキだったし、今なんかよりきわめて率直に行動してたからね。

今でさえ、何か新しいことをやろうとすると毎日ヘマはしてるが、それが人間だと思ってる」

 

実際20年余りの信仰生活的ブランクを経ていざイエスの話を脚本化しようと思いはじめた時、最初は大変だったと言う。

 

「ずいぶん経ってるからね、だろ? またいろんな本を読み直し勉強し直さなくてはならないと焦ったよ。そして自分に言い聞かせた;ちょっと待て、よく考えろ。これはおとぎ話なんかじゃない。本当にあったことなんだ、事実なんだ....

そこから実際彼の身になにがあったんだろう、どのように彼は死んだんだろうと思考する日々が始まった。そしてあらゆる関連書物、過去の映画漁りが始まった」

 

 

彼はイエスを描くことがリスクを伴うということをあっさり受け入れている。

「なぜなら誰にとっても彼はすごく個人的な存在なんだ。みんなそれぞれ独自のイエス像を持っている。どの国もどの信条も多かれ少なかれなんらかの形で影響を受けた結果、イエスとは誰で何だったのか、なぜああいうふうに生きて死んだのか、あるいはもっと根本的に彼の存在を信じるか否か、それぞれ異なる意見を持ってる。それが実は僕の映画を見る上での本当のポイントになると思う:彼を取り巻いたあらゆる騒動を当時の政治的視点で見せるために作ってる。なぜならそれが彼が何なのかという根拠だから」■

 

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Mel on the COVER

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Variety, USA 1995
Variety, USA 1995

新しい年を迎えた。2010年。皆様におかれてもさらに良き年になりますよう。

日付けは1月2日になってるが、もう3日。1月3日と言えばメル・ギブソンの誕生日。「おめでとう、メル!」のついでに毎年この日に新年のご挨拶をしてる(^^)。

 

メル・ギブソンのファンサイトを運営する私にとっては、今年は楽しみが多い。公開を控えた2本の主演映画、監督するのが決まってるもの1本、春頃開始の主演作1本と久方ぶりに映画人メルがおおいに動く。できるだけ追っていきたいと思うが、また今年はたった4ページから初めた本サイトの10周年、さらにWhat Women Want 「ハート・オブ・ウーマン」のロスアンジェルスプレミアに幸運にも参加でき、幸運にも生身のメルギブソンに会えた記念すべき出来事の10周年も迎える。

10周年?! なんてこと、紀行文はそのうち書きます...などと言いつつ忙しさにかまけ、さぼってたら10年! 最近ひとしお思う。地球の自転が実は密かに速くなってるんじゃないかと....大昔古代マヤ人が予言してたのはこの事じゃないかと。しかし嘆いても仕方ない。自転は停まってくれないだろうし、やることはいっぱい。せめて10周年記念として上記プレミア紀行文でもアップしよう。

 

さて去年の暮れ続けてジャンルは同じ恋愛ドラマになるだろうが、全く毛色の違う2本を観た。ひとつは鑑賞券を得て久しぶりの劇場でロードショウとして、サンドラ・ブロック主演The Proposal「あなたは私の婿になる」を楽しんだ。

S・ブロックは好きな女優の一人だ。いったい美人なのかセクシーなのかよくわからない雰囲気が気に入ってる。コメディでは笑わせてくれるし、筋肉質に近い体つきに見えるがグラマラスなのもいい。

やり手のカナダ人キャリアウーマンがヴィザの更新ができないため、とっさに部下の若い男との偽装結婚を思いつき、彼の実家に行くはめになりドタバタが始まる。大都会シカゴからおおらかなアラスカに行くくだりは傑作。そこに行って部下の実家が土地の素封家でお屋敷のような家を見て驚くブロックの演技も最高。

しばらく見ればもう結末は推して知るべし。アメリカのロマンチック・コメディなら複雑な筋立てなし、不幸な結末なし、スピーディな演技とファニーな台詞、一人か二人の意地悪な妨害役...と約束通りの展開で、それでもブロックのうまいコメディエンヌぶりがおおいに笑いを誘い、ハンサムな相方、ライアン・レイノルズがちょっとすっとぼけた人のいい役回りで、あれよあれよと言う間に二人は本物の恋に陥る。ところでこのレイノルズ、確かにいわゆるイケメンで日本の女の子好みのように感じられたが、残念、私の好みじゃない。40歳くらいになったらどうかな。

安心して座席に身を預けられる映画の典型だ。問題提起や意識を刺激される事もあまりない。単純に楽しむ映画。この手の映画はアメリカならではだろう。アメリカの観客のためのアメリカ的ロマンスもの。以下に書くフランスの恋愛映画なんてきっとアメリカじゃはやらないだろう。

 

1962年フランス/イタリア合作 Le Repos Du Gerriere 「戦士の休息」。すでに別れてはいたが、妻だったブリジット・バルドーを主演に迎えたロジェ・バディム監督作品。同じ恋に陥っていく男女を描いてもこうも違うのかとあらためてフランス映画の妙を見せつけられた思い。この映画は昔一度劇場で見て、BB(ベベ)のふくれっ面の愛らしさにうっとりし、音楽の美しさに魅了されたのを覚えてて、今回ふと思い出しレンタルしたのだが、当時「戦士の休息」(原題通りの訳)と言うタイトルの意味するところが当時よくわからなかった。

偶然に出会った男に惹かれ一緒に暮らし始めるが、この男が何か病理的な暗さを持ち、不実なのだ。フランス映画、特に恋愛ものはアメリカの言ってみればわかりやすく結末まで読めてしまうようなプロットの作りよりも、なぜだかわざわざこちらをイライラさせるような演出や脚本になってる事が多い。実はそういうところも含めてフランス映画が好きなのだが、アメリカ的ストーリー展開に慣れてしまうと、とても不自然に感じられるかもしれない。

しかし実際の男女の心の機微とは単純なものではないし、はたからみれば不自然な行動や言動がつきものだ。この映画もそういう意味では単純でなく自然でない。つまり二人は知ってか知らずか心理的駆け引きをしてるのだ。駆け引きというより戦い。男が勝ってるように見えてその実、最後に笑うのは女。イタリアの廃墟の中で最後にBBにすがりついて愛を乞う男に対し、長い金髪を風になびかせ泰然と微笑むあのラストシーンがまさに戦い終えた戦士の休息なんだろう。つまり休息であってまだ戦いは続く...と匂わせる。男女の心の機微は尽きない。

2つの全く毛色の違う恋愛映画を見終わって、2つともそれなりに楽しめるが、私にとって心に残り、刺激を受け、女主人公になった妄想を楽しめるのは古くても不自然でも「戦士の休息」のようなフランス映画だなとあらためて認識した次第。

 


 

Last updated 10/23,2015

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