A very violent 'passion' Part 3
《 奇跡が起こってる?》
「この脚本には不思議な力があるらしいってことに気がついた」と加える。
「たくさん妙なことが起こってる。いいことばかり....例えば病気だった人が治ったり、十字架刑の撮影の時、雷をもろに喰らったのがいたんだが、何ごともなかったように立ち上がって歩いたりとかね」
弟子ペテロを演じるフランチェスコ・デヴィートのコメント。
「よくルカ(・リオネッロ。ユダ役)やリースト(・イーフコフ。ヨハネ役)なんかとこの映画のことや信仰のことを話すんだが、みんな何かしら感じてる。何か普通じゃない大きな力がセットに働いてるのを感じるんだ。何かが私達を変えたということに今焦点が集まってる」
「総てのスタッフ、キャストが誇りを持っている。もしかしたら生き方すら変えるかもしれない重要な作品に関わってるということを強く悟った結果だと思う」こういうのはカヴィーゼルの個人スタイリストのヴェラ・ミッチェル。
ただそこにいるだけで全身から慈悲心や愛、寛容などのオーラを放射でき、かつ自信や自制心も要求されるような人類史上でももっとも有名な人物を演じるということについて、著名な映画史家で評論家でもあるレナード・マルティンはカヴィーぜルはまるで誂えたように完璧でこの人選だけでもこの映画は成功するだろうと感想を述べている。
「映画製作では常にキャスティングの際、果たして良く知られたスターを使うのがプラスなのかはたまた邪魔なことなのか決断するのが難しいことが多い。その点メルがジムを選んだことはとても賢明だ。彼は真摯で誠実な俳優でありさらに大切なことは過去彼が演じた役がイエスをやるのに全く障害になってないということだ」
ジムの一日は非常に忍耐を強いられる4時間から7時間に及ぶメーキャップセッションに挑むことから始まる。顔と髪の一部分をまずきれいに剃ることから始まって、しだいに信じられないほどイメージにそっくりのイエスに変身していく。
初めてラッシュで彼を見た時メルはその印象をこう表した。
「なんてこった、まるでトリノの聖骸布だ」
(訳注:イエスの遺体を包んだと伝えられる布でイエスらしき人物の像の影が転写されてる様に見えることで有名。参考関連サイト:「トリノの聖骸布」について)
ジムはメルが出演依頼をした時のことを振り返って言った。
「僕が今33才で、ちょうどイエスが死んだ時の年令と同じだということを知ってたかメルに聞いたんだ」(Carinya注:奇しくも頭文字JCもイエス・キリストと同じ)
つまりジムはこの役は神によってメルにひらめきが与えられたはずということを反語的に言いたいのだ。
「実際は....決して僕自身によるものじゃなく神がこの役をやることをお許し下さった。そして聖なる使いが、神の望む正しい方向を見失わないようにいつも僕を見守っている。こう信じることで不安も除かれている」
彼はアラム語を覚え、喋ることができるまでたっぷり不安感を味わうだろうと予測したが、彼によると「神に祈った。どうかこの言葉を早く覚えるのに力をお貸し下さいと。むしろ他のことを覚えるより遥かに短い時間で習得できたよ」
彼は誰もが知ってる敬虔なカトリックで、真摯にこの役に取り組んでいるせいか近寄り難く見え、しばしばやんわりと聖書を引用したりしてるが、禁欲的な面とおなじくらい明るい側面も持っていてビング・クロスビーの物真似などをびっくりするくらい正確にやってみんなを驚かせ遊んだりもする。
「ジムがこの撮影でさんざんな目に遭ってるのは承知だ。十字架シーンの時は半分凍り、肩を脱臼したりで毎日つらくて痛くて不快な思いをしてるはずだ。だが彼はよくそれに耐えている」と監督メルはこの役者をほめる。
カヴィーゼルは15日間の十字架刑の撮影を凌いだだけでなく、その後のローマでの鎖とロープに縛られて鞭打たれ虐待される日々をも耐えた。
「メルは映画で暴力を取り入れることを厭わない。むしろ好んでいるといっていいだろう。ただ彼の場合は入念に調べあげたテキストにそって本物に見えるよう再現することに努力と注意を注いでいる。
過去このようにイエスが描かれたことは決してなかった。たくさんの観客がこの映画を受け入れられなくて十字架シーンに行き着く前に席を立ってしまうって保証するよ。同時にたくさんの人が最後まで席に留まり真実に魅了されることも信じている」と主演俳優は請け合った。
特殊メーキャップ・プロデューサーのキース・ヴァンダーラーンは十字架刑の綿密で念入りなリサーチをしたあげくほぼ即興で、イエスの手だけでなく肋骨にも釘を打って、血が両脇から噴き出る様を再現してみせた。少なくともここまで頑張って居残った観客ならきっと本物の十字架刑を見てる錯覚におちいるだろう。