1996年度アカデミー作品賞候補作発表の後、Directors Guild of America(全米監督協会)が、「ブレイブハート」のメル・ギブソンと「イル・ポスティーノ」のマイケル・ラドフォードを招いて行なったインタビューから一カ所をのぞきメルの答えのみを抜粋。
人はこんなにも毛色の違う作品をイメージすることができる。 BraveheartとIl Postino。 しかも先のアカデミー賞では作品賞を競い合った。また2つとも詩的で力強い作品だ。豊かな才能に由来するすばらしい映画に敬意を表して全米監督ユニオンが2人を招き見どころやエピソードを語ってもらうことにした。聴衆は約200人の監督と世界中のジャーナリスト達。映画を心から愛する喜びと情熱とユーモアに満ちた2時間。
Q: 製作のプロセスを聞かせてもらうのは楽しみだが、何よりもまず...なぜ監督に?
Mel: 僕の場合は(マイケルと)ちょっと違うんだ。ずっと演技が情熱の対象だったからね。 だがジョージ・ミラーや ピーター・ウイアーのような素晴らしい監督達と仕事をしてきて演出というのがとても尊敬すべき仕事だということを学んだ。本格的に火がついたのはもっと後のことで、名前は内緒だがある監督のおかげなんだ。「ちょっと待てよ、彼にできるなら僕にだってできる」(笑)で、挑戦したわけだが実際にやってみて何とかやれる、ある程度の水準にはいけるという感触はつかんだ。もちろんそのためには編集室にこもりきる必要があったが。 おかげで見られるものになったと思う。
Q: 脚本のことから始めようか。その出会いは?
M: 初めて見たのはすでにシナリオの形で書かれたものを渡された時なんだ。原作者のランダル・ウオレスが自分で集めた史実の断片と、いくばくかの伝説を、豊かな想像力でつなげて脚本化していた。最初の感想は「こりゃおおごとだ、無理だな」時代物だし、戦闘シーンが二つ、それ以上のアクション、かなり厄介な仕事になるだろうと思ったね。僕にはとても....ただしテーマはとても気に入ってずっと頭の隅にとりついて離れなかった。そしてためらったあげく、結局彼に会った。
Q: どういう風にシナリオを煮詰めていったのか?
M: 実はね、ふつう僕は何でもいい、たとえつまらないことでもぶちまけ会うことから始めるんだ。
それこそ天気のこと から最近読んだ本のことまで。するとこのありふれたおしゃべりから、シナリオに加えられるようなアイデアがふいに生まれることがある。次にその 場面をあれこれ想像して、すでにある場面設定と組み合わせる可能性やその方法を検討する。ちょうどレゴをくっつけて遊ぶように。時々その場で
そうやって浮かんだシーンを演技して楽しんだりするんだ。もし通りすがりの誰かが見たら、きっと僕らの頭がいかれたんだろうと思うだろうね!
Q: その時点で映画のテーマは定まったと思うが、今日はっきりとここで分析できる?
M: うん、できると思うよ。だが御存じのように僕はただの役者に過ぎないから.....(笑)いや、まじめにやろう。 テーマは何かと言えば「自由」の一言に尽きると信じてる。さらに掘り下げればこれは遠い昔、祖国を守るためにためらいなく最後の一滴まで 血を流した人々がいたことについて、後の世が下した評価を僕なりに現代に再現しようと試みたものだ。
Q: キャスティングについて:主役、そして他の配役はどのように決定されたのかを聞きたい。
M: 配役はとてもとても重要だ。なぜならどんな小さな役でさえも最終的に作品に貢献するかその逆か、 大いに関係するからね。おろそかにはできない。そこでつぎのような方法をとった;
俳優達を各々喚んで30分ほどディスカッションをする。そしてどの役がその俳優に一番ふさわしいか一種のテストをするんだ。例えば、 アンガス・マクフェイディンと会った時のことだが、一目見てすぐにロバート・ブルースとして完璧だと感じた。強い存在感を放っていたしカリスマ性すらあった。同時にその第一印象を信じていいのか.....その時点では彼のことをほとんど知らないからね。そこでおしゃべり
を始めたら、つい最近、自分が養子だったということを知ったばかりだということまで話してくれた! 驚いたよ....。 いかれたアイルランド人スティーブンを演じた役者についてはこうなんだ.....何の文句もなかったね。なぜって彼自身が1から10まであの調子だったんだから。
メル・ギブソンに関しては.....法王を演じようと掃除夫をやろうと彼にとっては違いはないんだ。実はロイヤル・シェークスピア・カンパニー から来た役者達を帰したら主役をやる世界でただひとり残った俳優だということを発見!(笑)あれこれあるだろうがこれが僕のやり方だ。始まりはできるだけ先入観なしに、どういう成りゆきになるか見守る....。
Q: 撮影前にリハーサルを必ずやる方か?
M: 撮影前に限らず撮影中もリハーサルや予習をやるのが好きだね。だいたいその日の終わりに翌日のシーンのための 準備やリハーサルをやる。時にはギリギリで、かろうじて小さな調節をする時間しかないこともあるが。
Q: 撮影中はよく寝られた?
M: いや、もう最悪だったね! 苦労した。続けて4、5時間以上寝たことは一日としてなかった。毎朝目覚めると 熱っぽくて汗をかいてた.....まるでマラリアにかかったみたいに。 Braveheartの問題点は毎朝、あのいまいましく、うっとうしいエクステンション・ヘアを着けるのに2時間も縛られたこと。その間、何がどうなってるか監視するためにモニターを3台用意して、動けなくてもカメラやアシスタントに 指示を出すことはできたがね。今だから白状するけどモニターを使ったのはいいアイデアだったよ。誰かに裏切られたり騙されたりする心配が 全くなかったんだから!(笑)
Q: 俳優達とのコミュニケーションの秘けつは?
M: おそらく自分がもともと俳優だから、その辺はスムーズだった。積極的に彼等の中に入ってどんな
小さなアイデアや意見も引き出し合う。敬意を持って聞き、論じあい取り扱う事に細心の注意を払った。なぜならそういう事をないがしろにすると役者は動けなくなる。そもそも僕は相手のキャリアからその人となりを掴む才能がからっきしないんだ。そうありたいと思うんだが。よく人はそれを問題にする。やれ誰それの映画に出たとか、あの本を書いた、この音楽をやった...
僕はむしろそういう先入観はうっちゃっておいて、十分な相互理解が得られる要素を相手の中に見つけ、最終的に作品のためになるアイデアに繋げていく、といったやり方が得意なんだ。
Q: 撮影でもっとも神経を使ったシーンは?
M: もう言うまでもなく戦闘場面だね。スターリングの戦いのシーンの場合、スクリーン上での22分間のために約6週間かかってる。おまけに現場では8台のカメラを同時に回した! 長さ100mに及ぶエキストラの軍団に指示を行き渡らせなくちゃならないので、途方もなくデカいラウドスピーカーを設置したよ。まるでファシストの独裁者が演説でもぶちかましてるような気分になりかかったもんだ!おもしろかったね。
でもそれは全員のやる気を高める上で大切な事だった。なぜならもしスクリーン上で、彼等がアリみたいに小さな印象しかなかったら、決して心から身を捧げて演技しないだろう。だがこれだけやっても気付いたと思うが、戦闘シーンの真っ最中に、2人のエキストラがあくびしてるのが入ってしまっている。嫌になる。こういう事で映画自体の信用性が損なわれてしまう....
その上最後のバノックバーンの戦闘シーンをとってる時こんな事もあった。大勢のエキストラ達---現アイルランド軍の兵隊なんだ---が、吠えながら丘をかけ下るシーンをモニターで見てたら、そこかしこで彼等がふざけたり笑ったりしてるのがわかった。
また白状する事になるけど、たとえ絶対そうすまいと自分に誓ってはいてもこの時はカっとなったね。映画を見れば僕が気が狂いそうになったのが、きっと分かってもらえる。かつてない程頭にきた僕は、彼等の母親までひっくるめてかなりひどい言葉を吐いたような気がする。今でも恥ずかしいよ。でもね、ちゃんとバチは当たるものさ。さんざん罵られた彼等は、数日後僕に復讐するチャンスを逃さなかった。ウォレスが刑場に入るシーンがあっただろ? 群集が僕に向かってトマトや腐った野菜を投げつけるところ。やれやれ、彼等がぶつけたのは本物のトマトときた!(笑)痛いのなんのって、あの時の表情は絶対演技じゃないって言えるよ。
Q: カメラを設置する場所はどのようにきめたのか?
M: ああ、それは凄く簡単だ:場面設定を然るべき所に決めたらあとは...スクリプターがどこに陣取るかをじっと待つんだ。だって彼女がいつもいちばんいい位置を見つけるからね!(笑)彼女が座ったら、おもむろにそこをどいてもらってカメラを据えるというわけさ。簡単だろ?
(ここでラドフォードが「そしたらスクリプターはもっといい位置を見つけるのさ!」と茶々を入れて一同笑)
Q: 何か不意打ちというか、同業者が驚くようなちょっとした特別なテクニックなどを使ってみた?
M: 一つだけかなり特殊な技術を採用した。ピーター・ウィアーから学んだもので、うまく表現する事ができないでいたあるシーンを面白くするためにやってみた。2倍の速度でカメラを回すんだ。まぁ大雑把に言えば、魔法の何かは突然現れる。かなり異様に見える事は知ってるよ。でもとてもうまくいってると断言する。
Q: 映画のコンセプトが思い通りの形をとり始めたのはいつ頃?あるいは本格的に機能し出すのは?
Michael Radford: 何をどうやりたいかというコンセプトが具体的に形をなす、あるいは機能が効果を発揮するのは撮影の段階に入ってからだね。企画時にあやふやだった事が撮影中にしばしばはっきり分かる事がある。また編集の時に固まる事もある。逆に企画の時にこだわったり長い時間をかけたものが編集の時に削られたりもする。
Mel Gibson: 全くその通り。加えるならストレスが作業を能率的に動かす要素だ。つまり手順や予算、時間などをやりくりするのは途方もないプレッシャーを受けるが、僕にとっては不快な作業ではなかったと思う。多くの人がこの事に不平をいったり嘆いたりするが、創造性と拘束性は二律背反しつつも、切っても切れないものだ。しばしばこの窮屈さとストレスが、我々をして素晴らしい決断をする事を可能にしてるんだから。
Q: 編集について:どのようにこの専門的な仕事に関わったのか?
M: 僕は映画のスタイルに応じて編集責任者を選ぶんだが、数多くいる技術者の中から最適の人材に恵まれた。スティーブン・ローゼンブラムはGloryで見事な戦闘シーンを作り上げた経験と知識を持ってるから。
ほとんどの編集者は自分の城に閉じこもってひっそり仕事をするのを好む。僕はっていうと彼の肩越しに覗き込んでちょっかいを出すのが大好きと来る。いつも二人の共同作業がすんなりいったとは限らない。スティーブは強烈な個性の持ち主で、ことがうまく運ぼうが、こっちの機嫌が悪かろうが常に率直に意見を言う。で、論争がエスカレートしちゃうのを避けるために、僕らはそれぞれ手の届く所に小さなマリオネット人形を置く事にした;僕のは尼さん、スティーブはユダヤ人だからラビの人形という具合に。興奮してケンカになりそうになる度に人形でボクシングをする。そのうちバカ笑いして、冷静になり再び仕事に戻れるというわけさ。これは直接対立を避けるための凄くいい方法だったよ!
Q: その他にポスト・プロダクションではどんな事に神経を使った?
M: 音楽だね、間違いなく.....最悪なのはいったいそれがどんなものなのか、いいのか悪いのか知るために、最後の最後までじっと待ってる時の辛さ。ジェイムス・ホーナーは何がどうあろうと最後まで曲を聴かせようとしない。僕がおよその見当でいいからと拝み倒すと、彼はハミングで歌ってよこすだけ! これじゃちっとも役に立たない! そうこうしてるうちある日、いよいよ録音のためにロンドン・シンフォンニー・オーケストラに召集がかかった。その場に居合わせて彼の音楽が全く文句のつけようがなく完璧なものだと悟ったよ。
Q: 締めくくりとして、監督という仕事の何がいちばん気に入ってるか?そしてその逆は?
M: いつまでも慣れないのはおそらく不安感だろう。いろんな思いが頭をよぎる。自分のせいで自分の首をくくるのを信じてる自分を、もう一人の自分がひどく疑ったり、とかね(笑)でもそれと同時に、あり余る歓びの瞬間もいっぱいある事を経験した。そして満足感も。俳優業だけでは知る事のなかった素晴らしい感覚だ!■