STUDIO: 初めてハリウッドで仕事をした時のことは覚えている?
MEL:
実を言うと実際に仕事をする前に打ち合わせやミーティングの為に何度か来てたんだ。何よりもまず僕のために喜んで働いてくれるエージェントを見つけなければならなかったから。終いに僕の話を聞くのをOKしてくれた人に出会うまで何人もの人物を訪ねたけど、みんな慇懃に僕を追い返した。うん、正直でいたいから言うべき事は言わなくちゃ。あの当時この街は大嫌いだった.....今でも心から好きとは言えないし、ここに住み着くつもりは全くない。でもここで仕事をしてる。不思議だ。
S: 最初アメリカの俳優陣の中に入って自分が異質な存在だと感じたりした?
M: そりゃね、どうしても....(笑)だってけっこう長いことオーストラリアで育ったもんだから再びアメリカに来た時、こりゃすっかりやり直さなきゃと思ったね。何もかも異様な感じで特にL.A.はそうだった。リズムを掴むのに時間がかかったよ。初めのうちは戸惑ってまるで山出し。初めて都会に来たお上りさんって心境だった.....
S: それは演技方法の場合にも言えた?
M: ああ同じだ。オーストラリアの演劇学校で学んだわけだが、そこではアメリカの方式よりもずっとイギリスのやり方に近い。初めてアメリカの俳優たちと組んだのはピーター・ウィアーのA Year of Living Dangerously([危険な年]'82)の時でシガニー・ウィーヴァーやマイケル・マーフィが共演だった。そこで僕がどんなにドギマギしたか言えないまでもすぐに一つの大きな"違い"があることに気がついた。彼等のやり方にはスタニスラフスキー・システム*がすっかりしみ込んでいる。僕の場合にはそれは全くないんだ。
(*訳注:スタニスラフスキー・システム
演技メソッドの一つ。もとはロシア演劇のために提唱されたが、アメリカに入り、リー・ストラスバーグのアクターズスタジオによって主にブロードウェイ演劇を中心に映画の世界にも広がった。簡単にいえば、自己を殺してまで役柄に同化する。それに対してシェークスピア演劇を中心としたイギリスのメソッドは役柄に常に客観的な目をすえ、時には批判し自己と役柄とが対等である。大昔、大学の授業で習った覚えがあるがあやふや。大筋は間違っていないと思うけど。とにかくアクターズスタジオ系の俳優は多い。特にアメリカで演技を学んだ俳優はだいたいこのメソッドを応用してるようだ)
S: それの何が君のスタイルと違うのか?
M:
まず演技の技術的なスタイル自体が本題ではないと言っておこう。というのはスクリーン上で見られる結果においては両者にはほとんど違いはないからね。役にどう取り組むかというような、もっと内面的なことに起因する違いさ。かなりのアメリカ人俳優たちは、役にどっぷりはまり込んで1日24時間、全撮影期間中その役になりきったままでいるようにしている。僕としてはその必要性は全然感じない。それにたとえ自分がその方法を試してみても、うまくいかないだろうって思ってるね。
S: 自分の外見や演技力が人並み以上に秀でてることを証明する義務感といったような意識は全くなかった?
M: うん、そういうことは全く意識しなかった。ただ単に自分の職分をよりよく全うしようと努めただけさ。時にはなるほど、誰かが僕を何かのジャンルに押し込めようとするけど....昔の映画について書かれた記事を今でも覚えてるんだが、それによると僕はスタジオ54('70年代に流行ってたN.Y.のクラブ)のボーイに似つかわしく、この手の男は頭は空っぽで、できることといえばCMに出てふたことばかり台詞をいうのが精々だって。ショックでかなり傷ついたね。そいつが何といおうと僕は真剣に仕事をしたという自覚を持ってたんだから。
S: 君が俳優になったのは"偶然"によってだと聞いてるが.....
M: ほんとだよ。まぁほとんど偶然だね。姉が僕にそうと教えずに演劇学校の入学願書に記入させたんだ。時をおかず試験の準備をし始めた。既に心の中で演技への関心が生まれててそれを楽しんでいたよ。とにかくこの偶然から生まれたチャンスを避けることは何もしなかった。
S: 今日では君はアメリカ映画界で最もポピュラーな俳優の一人として知られてる。このどちらかといえば突然巻き込まれたような名声や人気に時には困ったりしないかい?
M: 君がいうところの名声や人気といったものにはたいした意味はないんだ。ある一握りの人たちがその俳優の仕事振りを尊重して正しく評価するのを除けばね。 場合によっては名声や人気は、この職業をやっていく上で有利になることはあるよ。でもそれが即ち、僕を突き動かす決定的な何かにはならない。だれも決して、それを利用した、ただの気晴らしだけで成功を掴んじゃいない。
まず第一に信念を持って自分の仕事にベストを尽くすことに努める。そして.....時には成功は出会いによって生まれるんだ。名声とか人気を分析してもなんの役にもたたない。善かれ悪しかれそいつと仲良く折り合っていくだけさ。こんな事言ってるけど、たまにはポロッとぐちをこぼして君達に嘘つき、と言われるかも....
S: 実際にセットではどんなふうに働いてるのかな。リハーサルは必要? それとラッシュを見るのは好きなほう?
M:
撮影中何が難しいといって自分の演技を客観的に観る目を持つ事。この意味ではラッシュが有効的な道具になってくれる。ちょうど職人やアーティストが自分の作品の具合を観るため手を休めるのと少し似てるね。撮影前のリハーサルもそれと同じような事なんだ。まず僕に安心感と自信をもたらすし、いざテイクという時に僕にとっては大事な要素である自由や開放感を与えてくれる。土台をある程度こしらえておけば、より自然な状態に身を委ね、何だってできるようになるんだ。
S: 我々の印象ではここ数年来、君はアクションとコメディの中間をいくような作品に特に好んで出ているようだが.......
M: うん、そういうのがすごく好きなんだ。行け行けって感じの映画が気に入ってる。2本のLethal Weaponの撮影ほど楽しかったのは今までないね。リチャード・ドナーと仕事して特にそういう好みが身についたようだ。彼は僕が知ってるうちで一番仕事が早い監督だね。以前出たある映画ではテンポが本当にのろくて、これじゃ完成する前に座ったままくたばる方が先なんじゃないかって思った! リチャードと一緒だと1時間のうちに実にたくさんのことがやってのけられる。ほとんど待機や静止の状態がないから常に注意を払ってなくちゃならない。そばにいると体内にまるで電気のようなエネルギーが生まれてくるのを感じる。他ではこれほど強く感じないようなね。
S: CIAの為に働く仏教徒のアメリカ人というAir Americaでの役柄をどう解釈する?
M: あれはアジアで出会う様々な矛盾に属するものなんだ。生まれはアメリカだがもうずいぶん長いことアジアに住んでる男。この意味では、あそこに出ていたラオスの将軍のようにアメリカに理想を求める権利のある一人のアジア人と同じだ。仏教に傾倒したせいでシニカルな面を持ち、彼の夢は両立しにくい二つの概念(善と悪)の上に成り立っているというやや複雑な役だ.....
S: 君にとって監督たる者が持つべき一番の素質とは?
M: う〜ん難しいな。どの人もそれぞれ違った特質を持ってるわけだから....たぶん他人やスタッフの話に耳を傾けることが大切な要素だと思う....僕が言いたいのは、強い信念と知性に裏打ちされつつ外からの声を聞き、考え、それが自分の作品のヴィジョンと折り合えるかをきちんと検討していく。そういう姿勢が皆を引っ張っていくことだと信じてる。
優れた監督というのは時には他人から影響を受けるのを恐れちゃいけない。つまり彼は人に与えることと人から受け取ることとの間でうまくバランスを取ることができるはずなんだ。
偉大な作品はそうした寛大な精神との共謀から生まれて来るといってもいいよ。さらに僕自身が、そういう素質を持った何人かの監督と働くチャンスが少なからずあったということを言っておきたい。