2010年
7月
11日
日
ここのところ何やかんやと時間が作れなくてブログもご無沙汰だった。何やかんやの中には、5月から通いだしたスポーツクラブも含まれていて、この年でまた運動始めたことによるちょっとした興奮と事後疲労のため、タイプするのが遠ざかっていたわけだ。
いろんなレッスンプログラムがあって、興味あるものを試してみたが2ヶ月やってみて現在は軽い水泳を含む水中運動系と太極拳に絞られた。この2つに共通してるのは改めて実際にやってみてこんなにも気持ちのよいものだったのかということを再認識したこと。それと年齢に関係なく、いやむしろ体力の衰えてきた私のような中高年や腰を痛めたり速い動きが出来ないといった人にたいへん向いている健康法だということだ。水泳や水中運動はプールがないと実行できないし専用のウエアが必要なため元手がややかかるが、太極拳はちょっとしたスペースがあればひとりでおさらいできるという利点があるし、ゆったりしてれば特別にウェアなどいらない。戸外でやった方が気持ちいいので8式でもいいからとりあえず基礎を覚えれば早起きして庭や近くの公園などでできる。一石二鳥。つまりもとではゼロに近い。
もう10年以上前になるが、香港とマカオに小旅行した際、早朝に限らずいろんなところで人々が集って太極拳をやっている風景にでくわした。その時はタクシーを1台雇って回ってもらってたんだが、そのゆったりした動きに魅了され、車を止めてもらい、運転手共々ちょっとおじゃまして見よう見まねで参加した(運転手さんは当然もうマスターしてた)。突然の新参者にも嫌な顔一つせず笑顔で手取り足取り教えてくれた。この心が太極拳の持つ思想的な側面のよいところなんだろう。つまり「和」をなす。「和」なる気を通い合わす。競い合わない。穏やかでまろやかな動きはそのままその心となす。短い時間だたったがとても充実した時間が持てたことを覚えてる。
そのまま即教室にでも通えばよかったがあいにく当時は近場になく、頭の隅に留まったまま今に至ってしまったわけだが、いつ始めても遅くはないところが太極拳の良い点。また今はインターネットのおかげで教則になりそうな動画も豊富だし、テキストだけでも読んでその心を知ることができる。DVDや本も豊富だ。もちろん基礎が大切なので初めのうちだけでもマスターした人からレッスンを受けた方がよいとは思う。
私はまだ入門レッスンでいわゆる8式と16式を学んでる最中。やっと見よう見まねの段階から独り立ちしつつあるところ。ゆえに一番普及してる24式を覚えるのはまだまだ。体もすっかり固くなって錆び付いて、動きも優美からはほど遠く、着てるものもちゃんとした太極拳用のものでなく、ユニクロのそれもセールで買ったドライストレッチのトレパンのでかいのを自分で裾にゴムを通しそれらしくしたものと、家にあったでかTシャツ、シューズも無印良品のこれまた値引きで求めた布製のバレエシューズみたいなのですましてる。何とも安上がり。知る人が見たら「あ、この人は太極拳らしきものをやってるようだ」と言われそう(笑)。それでもいい。なんといってもやってる本人は最高に気持ちいいと思ってる。「気」を私なりに感じてる。1時間のレッスンがあっという間でもっともっとやっていたいと思う。
心なしかふだんでも仕事中でもつい無意識に太極拳的動きをしてることに最近気づいた。重心移動や体の向きを変えたりする際にやってるようだ。あと何かでイライラした時に意識してゆったりとした呼吸を伴って太極拳の動きをちょっとだけでもすると落ち着くことも発見! これはいい。
西洋人やイスラムの人々の間でも太極拳のよさが普及して盛んだが、我々東洋人は、中国で遠い昔生まれた太極拳の原理である深遠なる哲学や太極思想を本来十分理解できる民族だと信じてる。殺伐とし、世知辛く、礼節や節度といったよきものが忘れられつつある今の世、皆が太極拳をやればいいのにとさえ思っているが。
わたしがやってるのはどのようなものか、下に入門者用の一番簡単な8式太極拳の動画をリンクしておいた。Youtubeにはこの他にも数多く投稿されてるがこの動画のいいところは画質が比較的きれいなのと、後半に後ろ向きで演舞してるのも見られることだ。これは初心者には大変参考になる。またバッックグラウンド音楽もいい。見よう見まねでいいからあなたもこれを見て今日から太極拳世界の住人になってみるのはいかがだろう。
ところでうちの猫、生まれながらにして太極拳をしてる。悔しいが彼女の方がずっと優美でなめらかで柔らかい(笑)。
2010年
4月
01日
木
写真を撮るとしてどうも私のお気に入りの対象は建造物だと思う。いろんな所へ出かけて撮ったものを見ると圧倒的に建物やそれに付随する、要するに自然の景色じゃなく人が作った建造物が多い。以前はニコンを抱えて撮りに出かけたりしたものだが、いかんせんあれは重い。昨今はデジタルカメラやケータイという便利で軽いものがあるので、もっとひんぱんに撮りたいと思ってるのになぜか持って出るのを忘れたり、見とれるだけで撮るのを忘れたりしてる。つまり写真撮影が趣味ではなくそういう建造物に巡り会うことが単純に好きなのだ。でもあとで撮っておけば良かったと思うことしばしば。なぜなら「いつまでもあると思うなあのお家」だから。
むかし横浜の本牧や山手に近いところに住んでいた。今でもあの辺りは昔の名残が見受けられるけど、数年前に訪れた際ずいぶん変わってしまったなと感じた。私にとっての横浜は、米軍の施設やハイツ、山手のインターナショナルスクールや洋館、埋め立て前の海苔棚のあった海岸などなど昔の姿しか浮かんでこない。
下の3枚の写真は山手にあった洋館。今でもこの辺は高級住宅地には違いないけどマンション群に取って代わられて、あの居ながらにして外国の街路を歩いてるような独特の雰囲気はなくなった。1枚目の家は特に気に入って油絵でキャンバスにも描いたりした。その絵は学生時代、学内で展示直後にどうやら盗難にあって行方不明。今頃どこにあるのやら。
2010年
3月
22日
月
銭湯に行かなくなって久しいが、子供の頃はまだ内湯を持ってる家は多くなく、毎日のようにまるで遊びに行くような感覚で行ったものだ。確かに昔あらゆるところでみかけた純日本的建築様式、そびえ立つ高い煙突を持った銭湯は、子供にとっても大人にとっても一種の社交場だった。大人たちは近所のうわさ話や世話話に花を咲かせ、情報を交換し、子供らは広々とした脱衣所の床におかれたカゴの間を走り回って叱られたり、大きい方の湯船は水泳プールになったり(^^;)。
男湯と女湯を隔てる壁越しに会話はもちろん石鹸が行き来したりも。大きなアナログ体重計に乗って一喜一憂する年頃の女の子。湯上がりに最高な瓶入りのコーヒー牛乳やフルーツ牛乳...ちなみに今この手の飲み物はこれでもかというほどスーパーの棚に並べられているが、銭湯で飲んだあの瓶入りのコーヒー牛乳に勝るものにいまだお目にかかってない。数少なくなった今もまだ銭湯に行けば飲めるのだろうか。
こんなことを思い出したのはまさにその銭湯を含む「風呂」をテーマにしたとても面白い漫画、ヤマザキマリ作「テルマエ・ロマエ」を読んだからだ。ふだんほとんどコミックに親しんでない私が即Amazonで注文したのは、ネット閲覧中の何かの折に紹介されてたおすすめ文が気に入り、銭湯のカランを持ち赤い手ぬぐいを肩にかけた素っ裸の古代ローマの男が、みごとなデッサンで描かれたちょっとドキッとしてしまうカバーに惹かれ、たくさんの読者レビューを読んでこれは是非手に入れねばと直感したからだが、実はとてもタイミングよく先月いっぱいかけてあの塩野七生の大作「ローマ人の物語」(これについてもいつか書きたいと思ってる)を最初からまた読み直したこともあって、私の気分が古代ローマモードになってたことが大きい。
この漫画の爆笑を誘う面白さ、滑稽さは読者のレビューを読んでみればいいし、特にちょっとでも古代ローマに興味や知識がある方には、とにかく手に入れて見てとすすめたいのでくどくど書かないが、漫画に違いないんだけど、作者は画家、ご主人はイタリア人の歴史家というだけあって、平和なハドリアヌス帝時代の歴史的要素や古代のローマの風俗、建物の様子、当時使われていた道具などよく再現されていて感心した。へぇーっと思うような用具などあったりしたことがわかる。所変われば品変わるだ。また人物描写もハドリアヌス帝の顔など残ってる彫像とそっくり!
違う時代、場所にワープして異体験するというアイデアは珍しくないが何よりもそれを「風呂限定」にしたところが、それだけで笑ってしまう。つまりそれだけ古代ローマ風呂好き文化に、やはり世界でも有数の風呂好き日本人が共感する部分が多いからだろう。漫画に現れる主人公が作った一風荒唐無稽と思われる浴場の数々も、あれだけ機能や快適さを追求した古代ローマ人なら、ひとつやふたつあったとしても驚かない。なんたって国境警備のローマ軍の基地にさえ浴場を作るという国民だった。上下水も完備してたし、トイレだって原始的にしろ水洗だった!
またこの漫画のいいところは古代ローマだけでなく、ちょっと前の我が日本の良き風呂文化や田舎の素朴な人たちのホスピタリティなどにもスポットを当てて登場させてる点。忙しい都会にいて時間に追われてるととかく心も体もギスギスしがちだが、この漫画を読んでさっそくすぐにでも休みを取って田舎の温泉なり湯治場なりにいきたい!と思ったのは私だけではないだろうと断言できる。遠くには行けないからしかたがない、近場の岩盤浴にでも行ってほぐしてくるか(笑)
とにかく久しぶりに大笑いをして楽しんだ良質なコミック。何を今頃って感じで去年暮れに出版されて以来売れまくっているらしくAmazonでは新刊はただいま在庫切れ。でもすぐ増刷されると思う。第2巻も出るらしいが待ちきれない。
BEAM COMIX「テルマエ・ロマエ」I ヤマザキマリ(著)2009年11月
2010年
1月
10日
日
去年の暮れ、お気に入り監督のピーター・ウイアーの最新作 "The Way Back"としてネットで紹介され、その原作が素晴らしい、どうも私の好みだぞという感触を得て2007年に文庫本になってた翻訳をAmazonに注文。お正月をはさんでやっと先日届く。ちょうど半分読んだところ。実は450ページ1日で一気に読めてしまうくらいやめられない。仕事がなければ1日読みふけっているだろう。
副題に「シベリアからインドまで歩いた男たち」とあるように信じられない距離をそれも探検とか旅行とかいうんじゃない、第2次大戦中の共産ソ連の強制収容所から脱走しての逃避行。書いたのはその脱出行の実行者の一人で当時23歳だったポーランド陸軍騎兵隊中尉、スラヴォミール・ラウィッツ氏。極限の収容所生活と逃避行を生き延び、戦後はイギリスに亡命。1956年、いまだ共産主義の支配的なソ連の影におびえる日々のもと、使命感に突き動かされてペンを取ったという。25カ国語に訳されいまだに版を重ねて世界中の人に読まれている。
その使命は十分に果たされている。共産ソ連の非人道的な仕打ちは掃いて捨てるほどあって、はっきりいうとソ連が崩壊して20年近くなった今でさえ、時々うさん臭い報道を見る。少なくともロシア人自体がスターリンの非を認めているのはけっこうなことだ。そして共産時代にもささやかな幸せだけを望んだ無辜なロシアの人々も大勢いたわけだ。こんな人たちもスターリンは見逃していない。
この本を読み始めてまたムラムラ怒りが湧いてくる。大昔からあのだだっぴろい国を治めるのにああいう国体を取らざるを得ない、あるいは他人の国を侵略してまで不凍港を切望していたという歴史は理解している。そのとばっちりの最たるのがポーランドだろう。
著者も前書きに書いてるように何世紀にもわたってひどい仕打ちを受けてきた国。特に近世からついこの前まで、東西に隣接したソ連とドイツという巨大な敵にはさまれ、いいように蹂躙されてきた不幸な地政学的位置にある国。大戦が終わっても共産ソ連の支配下にあったため、生き延びた命を長らえる故郷にも帰る事のできなかった大勢の人たち。著者と同じようにでっちあげられた理由により強制的に逮捕され、尋問され、処刑されあるいは働かされた多くの人たち。
ラウィッツ氏の文体には、その祖国ポーランドへの底知れない愛と、不幸にも敵の手にかかって不条理な死をとげた何万にもおよぶ同胞への深い愛と追悼がこめられている。
そして忘れてはいけないのは、そんな究極の環境でもユーモアを忘れてない氏と仲間たちだ。そしてそのユーモアの行間に共産ソ連に対しての痛烈な批判を織り込んでいる。1956年当時なら、まだまだこの本はソ連にとっては世界に出てはならぬものだったはずだ。
著者が勇敢で意志が強く、信じられないような逃避行もこなした体力と精神の持ち主であるという事は読めばわかるが、こんな危ない本を出版したその勇気にも拍手を贈りたい。イギリスにいたとはいえ、故国には係累もいるし、同胞に悪影響を及ぼすかもしれない。何よりも自身の身さえ危険だったはず。それでもスターリン治下のソ連の残虐非道を西側のみならず世界の人に知ってもらいたい一心が勝った。
著者も願ったように前世紀に共産主義が崩壊するのを見届けてからも、精力的に体験談の講演生活を送り、祖国ポーランドの孤児支援施設を運営して2004年4月、88歳で亡くなった。
著者の読者へのメッセージは;
私は個人の利益のために書いたわけじゃない。大衆と名づけられ、自らは声を発する事のなかった全ての人々を記念するために書いた。これは今生きている人々への警告の書であり、願わくはより大きな善に対する道義をわきまえた判断例を示す書とならん事を。
もちろん以上のような政治的背景は抜きにして(抜きにはできないんだが)実話の脱出記としてもたいへんおもしろく、本に載ってた地図ではもの足りず、Google Earthを起動して地勢を調べたり、東シベリアに住むトナカイ橇をたいへん上手にあやつるモンゴル系遊牧民オスチャーク族のこと、当時のロシアの文化や食べ物などなど、この本によって初めて触れたものが多く、楽しめた。後半はシベリアを無事逃れモンゴルに入り、ゴビ砂漠、そしてチベット....と、気候風土が全く違う部分のサバイバルに入っていく。著者のメッセージに共感し、サバイバルものが好きなら、ぜったいお勧めの1冊だ。
余談だがヒマラヤ山脈を越えてるとき著者はあるものに遭遇する。当時この部分が大きく取り上げられ、世界中の冒険家のロマンをそそったことは有名だ。その部分を読むのを今からゾクゾクして楽しみにしている。
ヴィレッジブックス 「脱出記 シベリアからインドまで歩いた男たち」
原題 "The Long Walk" by Slavomir Rawicz 1956
映画 "The Way Back" Directed by Peter Weir with Ed Harris, Colin Farrell
上記リンク先にはスチル写真が置いてある。この写真を見て早く映画が見たい!と心がはやった。インド、モロッコ、ブルガリア(さすがにシベリアロケは無理だったようだ)でロケ。エド・ハリス、コリン・ファレルと来たら見ないわけにはいかない。今年に公開される予定。
2009年
12月
13日
日
以前のNotebookから新たに書き出し。
もし生涯ベストテン映画なるものをあげよと問われたら? これはちょっと難しい。だが同じ映画を何年かたって再三再四見るというものなら、誰にでも心当たりがあるだろう。つまりこれが生涯ベストテン、ただしベストフェイヴァリットなのだ。お気に入り、これが私にとっては肝心要。単純。だからジャンルはあってないようなもの。ただ一ついつも目的意識を持ってスクリーンに、TV受像機にむかっているようだ。ようだ、という曖昧な言い方をするのは、昔友人にそう指摘されて、そういえばそうかもと納得した。
具体的な例をあげるとこれは歴史物に多いが、原作や関連著作本を先に読んでその映像化に思いを馳せる。図々しくも自分が脚本家、ひいては監督になったつもりで読んでいたりする。この場合はその本がすでに映画化が決まっているケースにあてはまるが、本を読む時は、往々にして頭の中に浮かんだ映像と共に読んでいる事が多い。だいたい読書ってそんなものだろうが、この主人公にはあの俳優、これを監督するならあの人がピッタリなどと、いってみればプロデューサーにもなったりする。ただしそれ以上の事は金とパワーががないから、いつの間にかそんな事も忘れてしまったりする。あとでそれが映画になると聞いて、忘れていた映像が一気に蘇ったりすると、その映画はもう私の物なのだ。
だからできた映画を見に行く時は、どうしても欲しかった映画化権を競り落とし損なった監督やプロデューサーの心境。なんて大袈裟な、と自分でも笑ってしまうが、けっこうこれで感動して帰ってくる。なぜなら私の貧弱な想像力より、数倍も彼等の方が上手だから。当たり前? いやそんなことはない。たまには私の方が勝ち、というのだってあるんだから。いつかそういう例も書いてみ見たいと思うが、ちょっと今思い出せない。
で、なにをいいたいんだっけ。そうそう目的意識。というより私にとってそれを見たい必然的理由という方が近いか。といったって理屈っぽいものじゃない。私にとっては映画は単純な娯楽でもあるが、芸術鑑賞でもありまた啓蒙のもとでもあるので、どんな作品からでも何かを得る。ただ全部見る事は不可能だから絞る時の基準があるというだけだ。メルが出てたり関係してれば絶対見る。これはりっぱな理由。メルが見ろといったものも見る。これも基準の一つ。これじゃあんまり自主性がない?
いや、けっこうこれが下手な評論家のレビューより当たっている。いまのところはずれがない。
メルギブソンを知る前も、きっかけなんてこんなもんだ。それがもとでねずみ講式に見たい作品が増えていくのが、楽しかった。今でもそういう見方をしている。
あとは好きな監督や俳優、好きなジャンル(歴史ものとか)など、普遍的な基準に基づく。
洋画の場合、見る基準に絶対入らないのが日本側の配給会社の宣伝文句と、先行試写会における特にタレントなどの感想。その分、製作国側のコメントやら製作ノート、読み応えのあるプレビューをがんばって読んだ方がずっとましだと思ってる。その点インターネットの普及は視野を広げさせてくれた(広げさせ過ぎの感も否めないが)。
そういう風にして見たたくさんの映画から、そばに置いておきたい座右の映画ともいうべき第1弾を挙げてみたら...........
神々の王国(1949 フランス)ジュリアン・デュヴィヴィエ
真夜中のパーティー(1970 アメリカ)ウィリアム・フリードキン
2001年宇宙の旅(1968 アメリカ)スタンリー・キューブリック
3匹荒野を行く(1963 アメリカ)フリッチャー・マークル
アフリカの女王(1951 アメリカ=イギリス)ジョン・ヒューストン
ノスタルジア(1983 イタリア)アンドレイ・タルコフスキー
銀河(1968 フランス=イタリア)ルイス・ブニュエル
ドレッサー(1983 イギリス)ピーター・イエーツ
ピクニック at ハンギングロック(1975 オーストラリア)ピーター・ウィアー
さまよえる人々(1995 オランダ=ドイツ=ベルギー)ヨス・ステリング
メル・ギブソン関連の映画や邦画、ケルト圏の作品などを外したとりあえずの10本。どれも心に残り、思い入れの仕方も様々。なぜ好きなのか気になるのか追々記していきたい。
2009年
11月
09日
月
「映画」カテゴリーにはメル・ギブソンに少しでも関わりのあるものだけに限らず主にみんなに勧めたい、あるいはお気に入り映画の感想や覚え書きを書いていくつもり。とりいそぎ他所に投稿したのを移転。あと旧サイトに書いた過去のものいくつかもここに移すつもり。
さてメル・ギブソンの製作会社Iconプロダクションズ2006年公開(日本未公開)のこの作品、大ヒットはならずともアメリカでのレビューが好評だったので公開を待ってたが、ようやく最近DVD化されたので借りて観た。「セラフィム・フオールズ」というのは地名だとずいぶん後でわかる。プロットは起承転結でいえばいきなり承から始まり、起の部分は追々明かされていくというものだ。だが始まりから緊迫感とハラハラが続き目が離せない。
冒頭ピアース・ブロスナン扮する元北軍の将校は我々にまだ明かされない理由でリアム・ニーソン扮する元南軍将校カーヴァー率いる追っ手に執拗に追われている。映画は全編がこの二人の過去の不幸な出来事に発する確執による追跡劇だ。元北軍将校ギデオンがナイフ一本で雪山から荒涼とした砂漠まで、追っ手をひとりまたひとりと倒しつつ生き延びるためのサバイバル術は見事だ。ただしアメリカではそのサバイバル術描写があまりにリアルという理由でR指定を受けた。
ここでトリヴィアをひとつ。ニーソン主演の1995年公開の「ロブ・ロイ」を見た人なら、もしかして思い出されるかもしれない。あれも追われる主人公が工夫を凝らして追っ手を撒くシーンがあったが、今回その一つをちゃっかり敵役ブロスナンがいただいている。もひとつ、公開年が同じなのでどっちが先だか知らないが、「アポカリプト」のあの究極のスタント場面のそっくりも(もちろん私が気がついたお節介に過ぎなく、製作側が知ってるかどうかは不明)
映画はほとんどをニューメキシコ州でたった45日で撮影したそうだ。この映画のほんとの主役は登場人物が雪山から平地、砂漠と移動することによって多彩な顔を見せるアメリカ西部の自然だと思うくらい実に厳しく雄大で美しい。台詞も少なく映像によって見せているから景色は雄弁だ。カメラがオスカー受賞者であの「ブレイブハート」も撮ったジョン・トールということで納得。もちろん二大アイリッシュ俳優も役柄にぴったり。特にブロスナンは見事にジェームズ・ボンドの殻を脱ぎ捨ててハマリ役。本人は喜んでこの汚れ役を引き受けたそうな。
硬派な、と形容したのはヘラヘラ、ニタニタした場面がまったくなく女性が絡まない意味で。もちろん女性は出てくるが最終シーンで、後からあれは砂漠の蜃気楼だったのかとも思える幻想的、妙なる女行商人としてキーパーソン的な役で出演するアンジェリカ・ヒューストンを除けば、説明的な役に終わっている。男ひとりのサバイバル行とそれを追う冷徹な男となったら軟派の出る隙はない。よってこの映画はデートムービーあるいはファミリー映画としては勧めない。特に子供はまだ見ない方がいい。
「逃亡者」とか「ランボー」とか「明日に向かって撃て」それについ最近の「アポカリプト」など思い浮かべたりしながら見てたが、特に太陽がぎらつく砂漠のシーンに移ってからはしきりに頭によぎったのは往年の名画「眼には眼を」だ。復讐というテーマのせいもあるが、人が自然に置かれた時の卑小さを両方ともうまく描いてると思うから。つまり壮絶なサバイバルを求められない日常では別段意識しない自然の恵みと脅威は、意識すると自分の卑小さを思い知るということだ。またIMDbのユーザーレビューには「既存の西部劇というジャンルを超えた知的なウエスタン。イーストウッドの "許されざる者"以来の傑作...」ともあり同意。
公式サイト(英語 Iconmovie.net内)
DVDリリース公式サイト(英語 Sony Pictures内 予告編あり)
2009年
11月
09日
月
サイトを運営しはじめのころ、まだブログなるものは存在せず、故に雑感や映画感想などをしばらくNotebookと題してHTMLでしたためていた。実はそれ以前つまり90年代5年間ほどは、パソコンすら普及してなくてアナログ、つまり紙のノートにせっせと手書きで覚え書きなどを書いていたわけで、ずっと使ってたNotebookなる名称はここに由来する。しかし本来私がつけたかった名はEnchiridionという。でもこれだとサイトを訪れた人が何のことかわからず、従ってスキップされるかもしれない....と当時は考えた。
だが見よ、今日この頃はブログの強力な普及のせいで、少々わけのわからないタイトルをつけても、中身に関心が持てれば読んでもらえる時代になった。ま、内容がおもしろくなく、読者に関心がなければタイトルがどうであれ違いはないが。
で、遅まきながらブログとして私もこの世界に参加するのだが、日記というよりも、かのアナログ時代を懐かしむ意味もあり、どちらかというと覚え書きといったものか。主なカテゴリーは好きな歴史(西洋、中東中心)関連、映画や本の感想、その他雑感というところ。もし関心を持ってもらえたら嬉しいことこの上ない。
そこでEnchiridion。これはラテン語で「ハンドブック」と訳される。9世紀ブリテン島に侵入したバイキング相手に生涯のそのほとんどを、侵略から守るための奔走と、病魔に冒されていたにもかかわらず、勉学と教育の普及に捧げ、ブリテン統一の気運をもりあげた英傑アルフレッド大王が感銘を受けたことをこまめに覚え書きにして常に肌身離さず携えていたノート。これがエンキリディオン。この大王の心に少しでもあやかりたいと拝借した次第。ただし言うまでもなく私は大王でもなんでもないので、このブログは単なる覚え書き。それでもずっと何かを学んでいたいという心は大王と同じ(かも)。といいつつ結局は雑感の寄せ集めにすぎなくなるおそれもあり。それでもいいじゃないか、とにかく始めてみなくては何も始まらない。
アルフレッド大王に関してはいくつか本があるが有名なのは大王と同時期に生きたウエールズの聖職者アッサー著のアルフレッド大王伝 (中公文庫)がある。聖職者だけあってその筆致は推して知るべしで本文自体は短くてすぐ読める。だが、本文の2倍はある解説と注釈だけでゆうに1冊分の8〜9世紀イギリス史になるくらい充実してる。ただしそのせいでしおりが3つくらい必要かも。
この本ではブリテン島に侵入してきたデーン人(バイキング)は異教徒といわれ、当然悪者扱いだ。土地は荒らすわ、略奪はするわ、すぐ協定は破るわで。だが待てよ、アルフレッド大王属する先住のアングロサクソン人も振り返ればケルト系先住民族のいる土地に勝手に入ってきて同じことをやったわけだ。だから初めのうちはピクト人や、ケルト系のブリトン、スコットに手を焼きっぱなし(5、6世紀のこの頃で有名なのは例のアーサー王伝説が筆頭)。アルフレッドの代になってもまだくすぶっていた。今だってくすぶってる。ケルトの子孫はイングランド人が大嫌いときてるものね。いつでもどこでも同じだ。仲良く住み分けることが難しいのは。
ところでアルフレッド大王をスクリーンに登場させた映画ってあるのかな? 知ってる方教えて下さい。