写真を撮るとしてどうも私のお気に入りの対象は建造物だと思う。いろんな所へ出かけて撮ったものを見ると圧倒的に建物やそれに付随する、要するに自然の景色じゃなく人が作った建造物が多い。以前はニコンを抱えて撮りに出かけたりしたものだが、いかんせんあれは重い。昨今はデジタルカメラやケータイという便利で軽いものがあるので、もっとひんぱんに撮りたいと思ってるのになぜか持って出るのを忘れたり、見とれるだけで撮るのを忘れたりしてる。つまり写真撮影が趣味ではなくそういう建造物に巡り会うことが単純に好きなのだ。でもあとで撮っておけば良かったと思うことしばしば。なぜなら「いつまでもあると思うなあのお家」だから。
むかし横浜の本牧や山手に近いところに住んでいた。今でもあの辺りは昔の名残が見受けられるけど、数年前に訪れた際ずいぶん変わってしまったなと感じた。私にとっての横浜は、米軍の施設やハイツ、山手のインターナショナルスクールや洋館、埋め立て前の海苔棚のあった海岸などなど昔の姿しか浮かんでこない。
下の3枚の写真は山手にあった洋館。今でもこの辺は高級住宅地には違いないけどマンション群に取って代わられて、あの居ながらにして外国の街路を歩いてるような独特の雰囲気はなくなった。1枚目の家は特に気に入って油絵でキャンバスにも描いたりした。その絵は学生時代、学内で展示直後にどうやら盗難にあって行方不明。今頃どこにあるのやら。
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Southerly (金曜日, 16 7月 2010 13:09)
Carinyaさんは、横浜に住んでおられたのですね。
僕も、父方の親戚が磯子や杉田、本牧に住んでいましたので、中学生の頃までは夏休みの間ずっと親戚の家を渡り歩いていました。そうですね・・・、その頃はまだ埋め立て前でしたので磯子の海は遠浅で最高でした。
その後、親戚の人たちはすべて横浜を離れたのですが、お墓は外人墓地のある高台のさらに奥にある平楽というところにあるので、今もたまに山手の辺りを通ります。
昔はお墓の裏が米軍のハイツになっていて、金網越しに異国の生活を想像したことを思い起こします。
それにしても、せっかく描いた作品が行方不明とは、とても残念ですね。
Carinya (土曜日, 17 7月 2010 00:25)
Southerlyさんも埋め立て前の海や米軍ハイツがあった頃のあの辺をご存知なんですね! 磯子や杉田などもよく行きましたよ。いやァ、もしかしてどこかで相見えていたかも、と嬉しく感じました。懐古趣味といえばそれまでですが、古い横浜だけじゃなく町まちの持っていたそれぞれの風景や特性など、どんどん失われてどこも同じような景色になっているような気がしてちょっと寂しい。まあ建造物というのは寿命があるわけで、作り変わるのは仕方がないにしても。またこのような古い写真をスキャンして載せますので気が向かれた時にご覧下さい。