以前のNotebookから新たに書き出し。
もし生涯ベストテン映画なるものをあげよと問われたら? これはちょっと難しい。だが同じ映画を何年かたって再三再四見るというものなら、誰にでも心当たりがあるだろう。つまりこれが生涯ベストテン、ただしベストフェイヴァリットなのだ。お気に入り、これが私にとっては肝心要。単純。だからジャンルはあってないようなもの。ただ一ついつも目的意識を持ってスクリーンに、TV受像機にむかっているようだ。ようだ、という曖昧な言い方をするのは、昔友人にそう指摘されて、そういえばそうかもと納得した。
具体的な例をあげるとこれは歴史物に多いが、原作や関連著作本を先に読んでその映像化に思いを馳せる。図々しくも自分が脚本家、ひいては監督になったつもりで読んでいたりする。この場合はその本がすでに映画化が決まっているケースにあてはまるが、本を読む時は、往々にして頭の中に浮かんだ映像と共に読んでいる事が多い。だいたい読書ってそんなものだろうが、この主人公にはあの俳優、これを監督するならあの人がピッタリなどと、いってみればプロデューサーにもなったりする。ただしそれ以上の事は金とパワーががないから、いつの間にかそんな事も忘れてしまったりする。あとでそれが映画になると聞いて、忘れていた映像が一気に蘇ったりすると、その映画はもう私の物なのだ。
だからできた映画を見に行く時は、どうしても欲しかった映画化権を競り落とし損なった監督やプロデューサーの心境。なんて大袈裟な、と自分でも笑ってしまうが、けっこうこれで感動して帰ってくる。なぜなら私の貧弱な想像力より、数倍も彼等の方が上手だから。当たり前? いやそんなことはない。たまには私の方が勝ち、というのだってあるんだから。いつかそういう例も書いてみ見たいと思うが、ちょっと今思い出せない。
で、なにをいいたいんだっけ。そうそう目的意識。というより私にとってそれを見たい必然的理由という方が近いか。といったって理屈っぽいものじゃない。私にとっては映画は単純な娯楽でもあるが、芸術鑑賞でもありまた啓蒙のもとでもあるので、どんな作品からでも何かを得る。ただ全部見る事は不可能だから絞る時の基準があるというだけだ。メルが出てたり関係してれば絶対見る。これはりっぱな理由。メルが見ろといったものも見る。これも基準の一つ。これじゃあんまり自主性がない?
いや、けっこうこれが下手な評論家のレビューより当たっている。いまのところはずれがない。
メルギブソンを知る前も、きっかけなんてこんなもんだ。それがもとでねずみ講式に見たい作品が増えていくのが、楽しかった。今でもそういう見方をしている。
あとは好きな監督や俳優、好きなジャンル(歴史ものとか)など、普遍的な基準に基づく。
洋画の場合、見る基準に絶対入らないのが日本側の配給会社の宣伝文句と、先行試写会における特にタレントなどの感想。その分、製作国側のコメントやら製作ノート、読み応えのあるプレビューをがんばって読んだ方がずっとましだと思ってる。その点インターネットの普及は視野を広げさせてくれた(広げさせ過ぎの感も否めないが)。
そういう風にして見たたくさんの映画から、そばに置いておきたい座右の映画ともいうべき第1弾を挙げてみたら...........
神々の王国(1949 フランス)ジュリアン・デュヴィヴィエ
真夜中のパーティー(1970 アメリカ)ウィリアム・フリードキン
2001年宇宙の旅(1968 アメリカ)スタンリー・キューブリック
3匹荒野を行く(1963 アメリカ)フリッチャー・マークル
アフリカの女王(1951 アメリカ=イギリス)ジョン・ヒューストン
ノスタルジア(1983 イタリア)アンドレイ・タルコフスキー
銀河(1968 フランス=イタリア)ルイス・ブニュエル
ドレッサー(1983 イギリス)ピーター・イエーツ
ピクニック at ハンギングロック(1975 オーストラリア)ピーター・ウィアー
さまよえる人々(1995 オランダ=ドイツ=ベルギー)ヨス・ステリング
メル・ギブソン関連の映画や邦画、ケルト圏の作品などを外したとりあえずの10本。どれも心に残り、思い入れの仕方も様々。なぜ好きなのか気になるのか追々記していきたい。
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